コロナ禍に『推し、燃ゆ』を読んだジャニオタの雑感

 

こんにちは、くちどけと申します。

なにやら世の中は緊急事態宣言だのと騒ぎ立てていますが、田舎民は早めのGWをおうちで満喫しているところです。

 

 

さて、界隈で話題の宇佐見りん著『推し、燃ゆ』をようやく読みました。

Snow Manというアイドルを推しているオタクとして、これは書き残しておかねばなるまいと思い、休日にパソコンと向き合っている次第です。

 

 

はじめに、このブログは小説の内容のネタバレを含みます。

 

ただ、ネタバレされようがされまいが、実際に文章を読んでみないと感想を持ちづらい小説だと思う…ので、もし気になったらぜひ手に取ってみてほしいです。

 

そんな前置きをしつつ、本題に入ろうと思います。

全体の筋道立てた感想文というよりは、本当にぶつ切りの雑感です。よしなに。

 

 

 

 

 

 

・「推し事」と社会生活

 

主人公は、「推し事」が自分の一部になっているタイプのオタク。

推しに使うお金を考えてバイトのシフトを提出し、推しの発言を全て書き出し「解釈」をして、自分と推しを重ねて「推しの見ている世界が見たい」と思っています。

明言はされていないものの、主人公は診断持ちで、勉強やバイト、家族関係が何一つうまくいっていない。

そんな中で、推しだけが自分を許してくれる存在であり、いつしか主人公にとっての生活の中心、というよりは「背骨」になっていました。

 

この小説の主人公はとても極端です。私は共感できる部分と全くできない部分がはっきり分かれました。

多くのオタクも、少なからず生活の中に推しがいて、その存在に救われながら日々を生きていると思うけど、痛む心臓を押さえながらも仕事や学校にはちゃんと行く人がほとんどでしょう。

 

だけどこの主人公は、そうではない。背骨につく肉すら削ぎ落としたいのだから。

 

 

 

・「推し」とファンの距離

 

いいなと思ったのは、推しとの距離の表現。

画面越しにしても、ステージと客席にしても、へだたりの分だけやさしさがある。みたいな。(うろ覚え)

 

ただこれ、主人公にとってやさしい、という話しかしていない。

この主人公は推しのことを考えているようで、常に自分のことしか考えていません。

 

でもオタクって結局自分のことしか考えられない生き物なのかもしれない、とはここのところずっと思っていることで。

そういう意味でも、この「身の程を弁えている感を出しながら自分を守っているだけ」、とでもいうような表現のうまさに目を剝きました。

 

 

 

・「推しは人になった」

 

この小説は推しがファンを殴った、というところから始まります。

で、なんやかんやあって(雑)推しの所属するグループは解散、推しは引退することになります。

それを受け止めきれない主人公は、あまり褒められた行動ではないことをしてしまうんですが、そこで見たものから「推しは人になった」と実感し、推すことを辞めます。この先のことは描写されてないので分かりません。

 

これ、めちゃめちゃ怖いなと思ったんですよ。主人公はずっと推しのことを、本当の意味で人だと思ってなかったんですよね。

翻って、自分は推しのことを人だと思ってるんだろうか…って考えてしまいました。

 

まぁ、ただここで言う「人になった」って、信仰対象から外れたみたいなニュアンスもある気はするんですけどね。このへんはいろんな解釈がありそう。

 

なんか、アイドルって概念みたいなものじゃないですか。誰かが見たいものを常に提供してくれて、にこにこ笑って、こちらを傷つけないでくれる。どんな人間だろうが、応援することを許してくれる。

そういう姿に安心していたからなのか、アイドルが急に人間らしい意見とかファンに対する反論みたいな発言をすると、結構みんな過剰に反応しますよね。これは別にジャニーズに限らないんですけど、「アイドル(芸能人)なら受け入れて当然」って頭のどこかで思ってしまってるから。

でもみんなアルカイックスマイルの仏像じゃなくて生身の人間だから、当たり前のことなんですよね。

 

推しだったら何言っても許してくれる、なんでも受け止めてくれる、みたいな驕りは怖いなと思いました…って書きながらこれ小説の感想じゃなくて日々のオタク業の感想になってるなと思ったんですが、許してください。わら

 

 

 

・オタクは推しのことを知ることはできない

 

先ほども書いた通り、主人公の推しがファンを殴ったところから始まる話なんですが、なんで殴ったのか、相手は誰なのか、そもそも本当に殴ったのか、最後までひとつも明言されません。

SNS上でいろんな情報が飛び交っている描写はあるけど、はっきりとは分からないまま小説は終わります。

 

これすげーリアルだなと思いました。

推しに何かあった時、SNSでたくさんの人が想像で好き勝手なことを言うけど、本人の気持ちや本当の答えをオタクが教えてもらえることなんてほぼ無いですよね。

もちろん悪い話だけじゃなくて、ファンが良かれと思ってお祝いしたりしたことも、実際本人がどう思ってるかなんて一生分からないんですよね。だからもうそこは推しの言葉を信じるしかないんだよな。

 

主人公が「解釈」するオタクになったのはそういう虚しさもあったのかなあなんて。行間を埋めたい、少しでも理解したいという気持ちで。

 

ちなみに私は推しのことを一生分かんないな~でも好きだな~と思っていたいタイプです。

今も全然分かんないし、この先もたぶんよく分かんないまま彼のことが好きなんだろうと思います。うふふ。

 

 

 

・コロナ禍に「推し」を推すこと

 

この小説、コロナ流行前だったらここまで話題になってない気がするんです。(文芸春秋掲載は2020年7月)

いや、もちろん素晴らしい小説なんですけど、共感のされ方が違ったんじゃないかなと。

 

これは私自身もそうなんですけど、コロナのせいで家にいる時間が増えて、「推し」という存在が増えた人多いと思うんですよね。

で、コロナで旅行もできない、飲み会も出来ない、楽しみがほとんどない、っていう毎日になっていく中で、推しに生活の楽しみを依存している人も比例して多くなっている気がします。

 

少なからず主人公みたいな気持ちが頭の片隅にあって、ギリギリ社会生活を送ってるよって人、いません?ここにひとりいます。

推しは変わらずエンターテインメントを届けてくれるだけなんだけど、こちらの熱量と重さがコロナ前後ではだいぶ違う気がしています。それすらも受け止めてくれるんだからアイドルって器デカいですよね。

 

 

 

・読後感の悪さ

 

この小説そんなに長いものじゃないです。私は一時間かからずに読み終えました。

でも一時間で読める内容の割に、めちゃめちゃ盛りだくさんで、なんとも言えず読後感が悪い、というか、もやもやします。

 

それは私がオタクで、突然推しがいなくなった主人公の心情を想像してしまっているからなのか、「推す」ことの切実さと罪深さを適切に文章で表現されてしまったからなのか、よく分かりません。

 

ただとりあえず言えるのは、この小説めちゃくちゃ好き嫌い分かれると思います。

私はなんとなく梶井基次郎に近いものを感じました。気分は上がらないし、人を刺す文章だと思います。

 

 

 

 

 

といったところでそろそろ終わりにしようと思いますけども。

めちゃくちゃ個人の感想と個人のオタクスタンスを書きなぐってしまいましたので、不愉快に思われたらすみません。

 

読み終えた後、ピンクのカバーを外すと真っ青で波打つような装丁が施されていて、よかったなと思いました。